問い合わせが“たまらない”管理へ

賃貸管理は、AIの活用が必須です

A社は、首都圏で約2,800戸を管理する不動産管理会社だ。繁忙期は1日あたり60件以上の問い合わせがメールとフォームに分かれて届き、担当者の仕分けと一次回答が追いつかない。結果として、緊急性の高い「水漏れ」「鍵」「設備停止」の案件と、緊急ではない「更新手続き」「駐輪ステッカー」などの案件が同じ受信箱で混在し、返信の順番が崩れる。私が初回の90分スポット相談で状況を可視化したところ、一次回答までの平均所要時間は9時間20分、担当者ごとの対応品質ばらつきも大きかった。

最初から大掛かりなCRM導入を検討せず、A社の既存運用に“半歩”だけAIを差し込む方針をとった。起点はGmailのラベル運用とGoogleフォームの統合だ。受信したメールに対して、私が用意したApps Scriptが件名と本文、添付の有無、電話番号や住所らしき表現を抽出し、スプレッドシートの行に自動で整理する。同時にGPTを呼び出して要件を一文で要約し、「緊急」「本日中」「翌日で可」の三段階で優先度を推定、対応の推奨チャネル(電話・メール・現地)が添えられる。ここまでを入れても、人が読むべき情報は1行に凝縮される。

ドラフト返信も同時に用意した。例えば「給湯が出ない」「ブレーカーが落ちる」といったキーワードと管理規約のルールを突き合わせ、居住者へ送る一次回答の骨子を自動生成する。住所や物件コードが見つからない場合は、その不足情報だけを丁寧に訊ねる再送プロンプトへ切り替える。誤送信を避けるため、送信は必ず担当者の目視で確定する。A社には「そのまま送れる文面」と「要注意文面」を色分け表示するビューを配布し、最初の1週間は10件に1件の割合で私もレビューしながら調整した。

現場への波及は想像以上に早かった。導入3日目で、緊急度の高い案件は平均22分で一次回答に到達し、全体の平均でも58分まで短縮。未読の山が夕方まで残ることがほぼなくなった。クレーム化しやすかった「折り返しが遅い」という指摘は、導入前の週に12件、導入後の週は3件に減少した。定型系の問い合わせは、担当者が文面をゼロから書く回数が半分以下になり、1通あたりの執筆時間は平均7分短縮。二次対応へ回すべき判断も早まり、繁忙期の残業時間はチーム合計で月28時間削減できた。正確性については、最初の1週間で優先度推定の誤りが9.6%あったが、A社特有の言い回しを辞書化したことで3.1%まで下がっている。

情報保護は最初から線を引いた。モデルに渡す本文は住所・氏名・電話番号をトークナイズして匿名化し、学習には使わない設定を徹底。スプレッドシートにはアクセス権を部門ごとに限定し、操作ログの可視化も行った。AIの出力は最終的に人間が確定するフローを外さないこと、リスクの高い文面(費用負担や契約条項に触れる内容)は常に「要注意」に倒すこと、この二点はA社の合意形成にも役立った。

私の所見として、A社の成功要因は三つある。まず、「メールを分類する」ではなく「担当者が読みたい一行にする」という成果物定義が明確だったこと。次に、Gmailラベルとスプレッドシートという既存の器を活かし、ゼロ移行で日常の摩擦を最小化できたこと。最後に、AIの推定を鵜呑みにしない設計にしたことで、現場が安心して使い続けられたことだ。実装自体は68,000円台の半自動化パッケージの範囲で、要件決めから10日で安定稼働に到達した。A社からは「問い合わせが“たまらない”日が増えた」という言葉をもらい、これは数字以上に意味があると感じている。

次の一手として、私たちは対応履歴の要約を月次で俯瞰するダッシュボード化を進めている。どの物件で何が繰り返し起きているのか、季節性はどうか、一次回答の遅延はどの時間帯に偏っているか。これらを見える化すれば、修繕予算や委託先の体制見直しにも良い示唆が出るはずだ。大きなシステムを入れ替えなくても、現場の詰まりは解ける。もしあなたの会社でも、受信箱の山に毎日追われているなら、まずは“90分のスポット”から糸口を見つけ、翌週には回り始める仕組みを一緒に作ろう。